2013.02.05
ブログ

立春に思う


2月3日の節分祭が終わり、暦の上では春がやってきました。
当日は二か所の節分祭に参加させていただき、それぞれ日曜日で陽気がいいこともあって大勢の参加者がいました。
最近は、毎年私は亀戸香取神社と亀戸9丁目にある浅間神社にしか参加しません。
せっかくの鬼祓いを短い時間ではもったいなく、合わせて福の到来をたくさん頂きたいと感じるからです。
ところで、日本の政治は今年本当に多くの福を呼びよせることができるでしょうか。
アベノミックスという言葉で日本の景気が良くなるような兆しもありますが、24年度の補正予算と25年度の当初予算の中身をみると、かつて懐かしい公共工事の大盤振る舞いのところが見え隠れしています。
デフレの20年は、我慢の20年でもありましたが、政治と経済の大きな転換点にさしかかった、自立した日本の実現のための構造改革の歴史でもあります。
次の時代の安定した政治経済を見つけるためには、失われた20年のデフレ環境は、一方でグローバルな国際社会と地方分権の統治体制を築き上げていくための重要な時間でもありました。
そこを忘れて、先祖帰りをしている自公のやり方には、どうしても不安が残ります。
もちろんうまく景気が上がって将来の日本の在りようが見えていけば、そんなにうれしいことはないのですが、社会保障と税の一体改革の様子が全然見えてこない現実を見ても、疑いたくなるのは私だけでしょうか。
いずれにしても、私たち政治家の責務として、節分祭に来ていた多くの子どもたちの未来が、明るく希望の持てる社会にして行かなくてはなりません。
それには今こそ、利害と党派を超えて日本の未来を真剣に語る時だと思います。
節分とは、季節の分かれ目だけではなく、過去の負の遺産との別れでもあるわけです。
一日も早く明日の日本の将来像を描きたいと思います。