2014.07.02
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集団的自衛権行使容認の閣議決定の意味


今日は私の53歳の誕生日です。5歳で父と離婚し、母親の波乱万丈な人生を見て、その人を思いやるエネルギーを尊敬して、気が付いてみれば政治の世界に飛び込んでいました。
物心ついた3歳ぐらいから、この50年間の月日は、私の政治家としての使命を、その節々で覚悟させていたといっても過言ではありません。
その目的は、総じて一般庶民の生活の安定であり、幸せであることの保障であり、生きがいを持てる環境づくりでした。私の母は、2年前の2月に亡くなりましたが、庶民としての生きるエネルギーを多分に持っていました、そして多くの周囲の人を幸せに導くために、そのエネルギーを使っていた偉人でした。
22歳の時に政治に参加する最初の縁がができました。創価大学4年生の時、公明党の都議会議員選挙の応援で、候補者のドライバーを引き受けてからです。その後、大学を卒業しても都議会議員の秘書として残り、縁があって新進党の参議院議員の公設秘書になり、自由党・民主党の衆議院議員の公設秘書を経て、平成15年に江東区議会議員に当選しました。初めて地方政治家となり、自分自身の言葉と行動に大きな責任を感じました。
この30年間、私の願いは、官僚政治の終焉であり、政治を民衆の側に立った平和な社会の実現でした。
そのためには、人類誕生以来大きな課題であった、政治と宗教の分離と本当の人間社会を平和にする宗教の在り方の模索でした。
また別に機会にこのことは詳しく書かせていただきますが、昨日の閣議決定は、間違いなく平和な人間社会の実現には逆行していると思われます。自民党の中でも異論があり、まとまっていないようですが、最も残念なのが、結党以来創価学会に支えながら発展してきた公明党が、権力の魔性に取りつかれ、判断を誤ったことです。
戦後の日本の安全保障の在り方を、180度転換させるときに、こんなに簡単に閣議決定を進めてよかったのでしょうか。
今回の閣議決定の意味は、まさしく政管業癒着の官僚中心主義政治の復活にほかなりません。
それを打破するために、少なくとも改革の行動をとってきた私にとっての30年間の思いも、残念ながら無力の結果となっています。
しかし、民衆はそんなにバカではありません。このまま終わるはずはないと思っています。今こそもう一度、人民の、人民による、人民のための政治を復興しましょう。
そして次の選挙で決着をつける必要があります。
皆さんのご支援・ご協力を心からお願い申し上げます。