2006.08.15
ブログ

終戦の日に思う


8月15日、この日は戦後の日本の針路を決定づけたターニングポイントである。戦前・戦中・戦後と日本の針路は大きく変化してきて来た。特に戦中の政治体制については、軍主導で展開してきた政治判断の過ちは、誰もが認識するところで、アジアの植民地からの解放戦だとか、自衛の戦争といえども、結果として多くの国民を悲しみの渦に巻き込んだ責任は、計り知れないものであると思われる。
その反省にたって、戦後の日本の政治戦略として、文民統制と徹底した平和主義があり、経済主導大国の道への選択があったと思われる。
東京裁判の疑義やアメリカ占領政策の悲哀と骨抜き政治の不満は、私に限らず多くの人が持っていることと考えます。しかし根本は、世界の中の日本の位置を、国民の幸福と安定の視点から考えるべきで、無資源国の日本が世界平和のために何ができるかを、偏狭なナショナリズムから論じた場合、また過ちを繰り返すのではないかという怖さを感じるのはわたしだけではないと思います。
しかし、今日のテレビ画面から見られた小泉総理の靖国参拝に対する様々な論評を聞いていると、社会現象の中で一番心配する、センセーショナリズムに踊るマスコミの対応が、私には一番心配に思えました。
かつて、劇場型日本の有様を揶揄された経済学者がいましたが、今日の政治の動きは、まさしく劇場型の小泉政治の、わがままな映画監督の自作自演のお粗末な演劇としか思えない行動でありました。
少なくとも、教育基本法の改正もそうですが、重要な日本の針路を決める問題については、もっと静かなかつ慎重な議論をすべきと思います。それがここ数年とくにできなくなっている政治状況が、最も私が一番心配するところであり、心して政治を監視しなくてならないと強く感じます。