2014.08.15
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69回目の終戦記念日に思う。


1894年の日清戦争から120年、第一次世界大戦から100年、そして来年は終戦後70年の節目を迎える。
100年ひと昔とよく言われるが、ホモ・サピエンスが誕生した20万年前から考えると、ほんの一瞬である。
この一瞬のわずか1世紀の間に、残酷な戦争の歴史を人類は残してしまった。
そこには人間の権力欲や経済欲や性欲や、人間のエゴイズムの塊が、一気に露出した格好になっている。
本来ホモサピエンスの意味は、「賢い人、知恵の人」である。
したがって人類は、戦争と平和の歴史を繰り返しながら、人間力の成長の過程を踏まえ、「賢い人、知恵の人」に近づきつつあったと思われるが、20世紀の歴史は、人間力の成長の過程よりも、機械や科学文明の発達の方が早く、人間の知恵が追い付いていけない状況ではなかったかと考えられる。
しかし、あまりに悲しいことだが、日本が唯一の原子爆弾の被爆国になったことによって、世界は核武装しながらも、まだ人間力を発揮して、世界全体では平和を維持できている。もっとも愚かな為政者のために、局地戦争が今もなお続き終結されないことは残念であるが。
その背景に、戦後の日本の平和主義が、この69年間、世界から非常識と言われても、20世紀の戦争の歴史の歯止め役と、人類が本来求めるべき平和主義の理念を世界に提起してきたことは事実である。そしてそのことが69年間という貴重な時間の平和を保つことができたといっても過言ではない。
その中で、ホモサピエンスの本来の意味を、具現化してきたのが日本人であり、3・11の東日本大震災の時に、世界から称賛された日本人の精神こそが、そのことを支えてきたと考えられる。
とかく技術力だけが取りだたされるが、日本の精神力や文化力は、世界から大きな評価を得てきたのである。
しかし今年の7月1日の閣議決定が、そうした歴史を大きく変えようとしている。日本憲法の持つ、世界でもまれな平和主義を根底から覆す結論を引き出そうとしている。あたかもそれが普通の国のように。
集団的自衛権の権利はあるけれど行使できない意味は、戦争と平和の歴史を繰り返してきた人類の知恵であり、賢人としての象徴ともいえるのでないでしょうか。
被爆国の日本だからこそ、戦争に負けて大きな教訓を勝ち得た日本だからこそ、世界に説得できる立場にある国としての誇りを、なぜ今変えなくてはならないのか。
日本は今、大きな岐路に差し掛かっていると思う。法案審議がこれからの時、まだ間に合うでしょう。
終戦の日から70年を迎える来年の8月15日まで、私たち日本人は、世界平和のためにあきらめずに頑張りましょう。