2008.01.01
論考・論作

いま日本の政治に求められるもの



日本の国会議員は、よく政治家としての使命を、国民の生命と財産を守ることだと言います。基本的にはそうかもしれませんが、その言葉の裏には、そのためには国民に少々の犠牲はしょうがないと思われるような、国民を上から見下す抑圧的な雰囲気も私には感じられます。小泉内閣が誕生した2001年4月以来、安部・福田内閣と続く今日まで、財政再建とグローバリゼーションの名のもとに市場原理主義がはびこり、年金記録の問題や道路特定財源の政治的判断、後期高齢者保険制度に見られる国民に対する政府与党の姿勢を見ると、まさしく政治家と官僚が癒着して作り上げた、政官財の利益誘導型の政治の失敗の付けを、今まさに国民に回しているように思われてなりません。

地方議員として私は、毎日中小零細企業や商店街の現場の声を聞いています。家族二人でやっと食べるだけの皮革製品を作っている小さな工場、原材料の値上げに苦しむ商店、建設資材の高騰で利益の上がらない仕事がほとんどだと嘆く建設関連会社を訪ねると、国民の生命と財産を守るという政治家の言葉とは裏腹に、どこまで国民に付けを回すのかという疑問を抱かざるを得ません。確かに一時期景気が回復した時期もありました。しかしそれは不動産ミニバブルや外需による大手企業の収益の改善が中心で、その一方で正規社員のリストラや下請けの締め付けなど、日本経済を支えて来た中堅サラリーマンや中小零細企業に対する非常に厳しい犠牲の上に成り立っていることも理解しなくてはなりません。

1981年に鈴木善幸首相の「増税なき財政再建」の達成のために、第二次臨時行政調査会が設置され、俗にいう「土光臨調」がスタートしました。当時、政治的圧力や官僚の抵抗にも屈せず、三公社民営化の道筋をつけるなど、後の中曽根政権の行政改革の一連の流れを作られた功績は、いまも色あせることなく高い評価を得ています。そこでの最大のテーマは、「無駄をなくして日本の財政構造をいかに健全化するか」にありました。経済的な豊かさを求めた高度成長の時代に、特権を満載した官僚中心の政治構造を改革しなければ日本の将来が危ういと気づいていたことはとても評価できます。しかしその結果は、特別会計のお手盛りや道路特定財源の無駄遣い、年金基金の私的流用や年金記録の記載漏れに見られる現在の政治状況をみると、いまだ道半ばの状況にあります。

土光臨調のスタートから早27年が経ちました。この間、世界の情勢は1989年のベルリンの壁の崩壊に始まる、グローバリゼーションによる国際環境の変化、また2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件にみられる新たな国際紛争の展開など、目まぐるしいほど様々な動きがあります。また内政的にも、バブル崩壊以降の日本の政治は、後期高齢者保険制度に見られるように、目先の対処療法に混乱を極めています。こうした混乱時期に、いまの日本の政治に一番求められていることは、政治信念の確立です。

日本国民は、日常氾濫する政治情報の中で何が正しくて何が正しくないのか、物事を正確に判断する勇気と曖昧さからの脱却が必要です。曖昧さを美としてきた日本にとって、一番苦手なことかもしれませんが、今日の抑圧的な日本の政治状況を打破するには、曖昧さに蓋をするような行動原理をいまこそ払拭する必要があります。その意味で来るべき次の総選挙は、日本の政治を大きく転換する大事な選挙になるでしょう。