2021.08.09
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東京2020オリンピック大会と被爆国としての役割


8月8日夜、第32回夏季オリンピック大会が閉幕した。新型コロナウイルスの影響で1年延期され、殆どの会場で無観客となった異例尽くしの大会であった。国立競技場の建設見直し、大会エンブレムの盗作問題や、森前総理を始め大会関係者の心無い言葉の連発で、コロナとの戦いの中で大変な状況にあるにもかかわらず、様々なマイナス要因が働き大会の開催が心配された。しかし結果としてアストリートたちのオリンピックに臨む強靭な肉体や精神力、また国民としての誇りや思いやりを忘れず、多くの国民に希望と勇気を与えて頂いたことにまずは感謝を申し上げたいと思う。私自身も日本の国技である柔道や女子バスケットボールの活躍など、数えきれないほどの感動を与えて頂いたが、そこでの一番の感動は、勝っても負けても勝敗に拘らず、出身国が違う選手達が互いのパフォーマンスを称え合う姿であった。そこには人間として、地球人として、優しさや思いやり、協調性や様々な課題を克服できる豊かな人間性を見ることができた。そこにオリンピック開催の意義があったんだと改めて感じた。そしてそのことが、スポーツを通じて世界平和への礎になるのではないかとも感じられた。残念だったのは、ロンドのリンピックの時から話題になった、文化プログラムの開催が限定的にしかできなかったことである。スポーツの祭典と同時に文化の祭典として、人類の民族や文化の多様性を理解し合う絶好の機会を逃してしまったことは、東京2020オリンピックの大会の100%成功とは言い難い一面でもある。確かに、緊急事態宣言下で感染者数が増加する中、逼迫した医療従事者や苦境に立たされている飲食店の関係者にとって、大会の映像やニュースは見たくない人もいたかもしれないが、1年半ほど続いている自粛生活の中で、少しでも心を揺さぶられる感動の瞬間が何度かあったのではないかと思う。問題は炎天下の夏の大会を選択した、IOCのアスリートファーストを度外視した過剰な商業主義や強権的な手法、また政権が低迷する支持率に対して選挙のための政治利用をしたのではないかという懸念を、日本政府、IOC、東京都、組織委員会が丁寧に説明責任を果たすことだと思う。バッハ会長は6日の記者会見で、今回の異質な五輪開催について、「歴史が将来どう見るかは今判断したくない。未来の世代が判断することだ」と総括し責任を回避しているが、今後問題になる膨大な大会経費の負担や政府の場当たり的なコロナ対策の中で大会を開催した意義や教訓は、アスリートには何ら責任はないが、政府としてはしっかり総括して頂きたい。そしてそのことが、二度と繰り返してはならない、大会開催中に迎えた76回目の8月6日の広島原爆の日と、本日9日長崎原爆の日に対しての日本政府の真の意味での矜持ではないかと思う。原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)に掲げられた「安らかに眠ってください 過ちを繰り返しませぬから」の碑文の趣旨は、原子爆弾の犠牲者は、単に一国一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和の礎となって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々ではなくてはならないという意味であると言われている。つまりオリンピックの精神は、まさしく全世界の人々の平和を願う役目を持っているとしたら、せめて8月6日のニュースは、政府として世界に、悲惨な戦争が二度と起こらないように、もっと強いメッセージを出すべきだっと思う。東京2020大会開催中に迎えた広島原爆の日に、世界で唯一の被爆国としての役割を十分に果たせなかったことはとても残念なことである。いずれにしても、今回の極めて異例尽くしの東京2020オリンピック大会の開催から学ぶべきことをしっかりと総括して、古い体質のIOCのあり方を改めて検証し、新たな五輪のあり方を追求する時が来たのではないかと思われえる。次回開催国フランス・パリの大会が本当の意味での世界平和に繋がる有意義な大会になることを心から期待している。